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文檔簡介

第3章

貴族政治の展開1、摂関政治1、摂関政治(藤原氏の発展)(摂関政治)(國際関係の悪化)藤原鎌足(藤原氏の発展)藤原不比等(南家)(式家)(京家)(北家)藤原冬嗣藤原良房藤原基経藤原麻呂藤原武智麻呂藤原宇合藤原房前藤原內麻呂

藤原真楯

(藏人頭)(太政大臣)(關白)藤原冬嗣藤原北家の発展藤原良房(摂関政治)摂関が天皇の後見として政務の実権を取る政治形態。特に、律令政治が形式化した10世紀前後から院政が成立した11世紀中頃までの政治。

摂政(せっしょう)天皇が幼少、政務を代行

関白(かんぱく)天皇が成人、後見役を務める摂関

摂関家摂政?関白に任ぜられる家柄藤原氏の地位:藤原鎌足(大化改新、天智天皇)→藤原不比等(文武天皇)→四家南家、北家、式家、京家北家:藤原冬嗣(嵯峨天皇、藏人頭)→良房(太政大臣)→基経(摂政、史上最初の関白)969年、安和の変、他氏の排斥が終了し、摂関常置の體制が定著した。藤原氏北家の獨占的地位は確固。藤原道長

摂関家勢力が最も盛んであったのは、11世紀の藤原道長とその子頼通の時代である。彼は四人の娘を次々に皇后や皇太子妃とした。「此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることも無しと思へば」(國際関係の悪化)中國と日本:寛平6年、唐の疲弊と航路の危険のため日本の遣唐使が廃止された。宋の商船は時々九州などへ貿易のために來航したとはいえ宋とは正式な國交が開かれなかった。朝鮮:10世紀初めに高麗が起こり、新羅を滅ぼして半島を統一した。第3章

貴族政治の展開

國風文化2國風文化(國風文化)(國文學の発達)(浄土信仰)(國風美術)(貴族の生活)(國風文化)(藤原文化)

時間:國文學、大和絵特徴:外來文化を吸収した上で日本古來の文化を土臺に日本の風土や人情、嗜好にかなう國風化の傾向。日本的色彩の濃いもの、力強さはないが、優美で優しい。代表現象:10世紀以降の平安時代(國文學の発達)

╱萬葉仮名の草書體ひら仮名かな文字╲漢字の一部分片かな和歌:905、『古今和歌集』—紀貫之物語:『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』隨筆:『枕草子』日記:『土佐日記』仮名の発展8世紀に萬葉仮名が用いられる。9世紀に簡略化した片仮名や平仮名が普及した。10世紀その字形が定著した

萬葉仮名片仮名和歌9世紀に和歌の歌人が活躍した。10世紀に『古今和歌集』が編集され、長く和歌の模範とされた。《古今和歌集》(905年)物語、隨筆、日記『源氏物語』『『竹取物語』

『伊勢物語』『土佐日記』枕草子』など

紫式部源氏物語しばしば「古典の中の古典」と稱賛され、日本文學史上最高の傑作とされる。土佐光起筆『源氏物語畫帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。土佐光起筆『源氏物語畫帖』より「朝顔」。雪まろばしの狀景。邸內にいるのは源氏と紫の上。竹取物語日本最古といわれる物語光り輝く竹の中から現れて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語。幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄?畫)伊勢物語平安時代初期に成立した歌物語普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語となりえている。今昔物語集土佐日記承平5年(935年)頃成立紀貫之が土佐國から京に帰る最中に起きた出來事を、虛構も交えて綴った日記文學。(浄土信仰)神仏習合本地垂跡説御霊會の信仰浄土教形式:阿彌陀仏を信仰し、極楽浄土への往生を願う。発展:貴族→庶民末法思想の流行と原因:現世の不安書籍:

『往生要集』、『日本往生極楽記』、『拾遺往生伝』など法成寺(ほうじょうじ)は、現在の京都市上京區にあった寺院。藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。平等院鳳凰堂日本の國寶、京都府宇治市。1053年建立、ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一部。建物の內部の襖や屏風には、なだらかな線と美しく上品な彩色を持つ大和絵(やまとえ)が描かれた。

大和絵(國風美術)寢殿造り內部書道小野道風?藤原佐理?藤原行成の三蹟(さんせき)とよばれる名手があらわれた。

藤原行成藤原佐理來迎図男子束帯?衣冠(貴族の生活)女房裝束化粧食生活成人式第3章

貴族政治の展開

3荘園と武士3荘園と武士荘園の発達荘園と公領地方の反亂と武士の成長源氏の進出(荘園の発達)背景:三世一身法や墾田永世私財法の発布によって、有力な貴族や寺社などの開墾を中心とした土地の拡大。形態:荘園領主(有力な貴族や寺社)?役人期間:8世紀後半ー9世紀頃荘園が成立した。①自墾地系荘園(初期荘園)

期間:10世紀から現れた形態:中小地主→荘官、中央の有力な貴族や寺社→領家や領主(本家)領主の特権:不輸の権、不入の権(対立:受領?領主)●國衙領(國司→公領)②寄進地系荘園荘園(荘園と公領)(地方の反亂と武士の成長)侍上皇寺院と荘園武士が強くなる頼る上皇の権力が弱くなる。武士団の成立背景リーダー:在庁官人、郡司、有力な名主たちメンバー:支配した農民たち(家の子、郎黨)活動治安を維持、土地や農民の支配を拡大しようとして、闘爭を繰り返し、時に國司にも反抗したりした。武士の誕生武士の構造武士の勢力の増大官職:押領使や追捕使仕事:叛亂の鎮定や盜賊の追捕、宮中の警備武士の棟梁:桓武平氏、清和源氏朝廷や貴族→「侍」?純友の亂:936年(承平6年)、伊予の國司の藤原純友、瀬戸內海の海賊をひきいて反亂を起こした。?將門の亂:939年(天慶2年)、平將門一族と豪族と手を結び、そして反亂を起こした。地方の反亂武士の合戦(源氏の進出)源経基(始祖):純友の亂の鎮圧に功のあった。源満仲(源経基の子):摂津に土著していた。源頼光、源頼信(源満仲の子):摂関家に近づき、中央での地位を高めた。清和源氏東國:今の東京、茨城一帯奧羽地區奧羽地方ではこれ以後、陸奧の平泉を中心とした藤原清衡の支配が強力となり、子基衡?孫秀衡と3代に100年にわたって奧州藤原氏が富強をほこった。第3章

貴族政治の展開

4

院政と平氏の臺頭4

院政と平氏の臺頭後三條天皇と院政の開始院政期の社會保元?平治の亂平氏政権平安末期の文化(後三條天皇と院政の開始)後三條天皇の政治後三條天皇1068年、即位。1069年、『延喜の荘園整理令

』を発し、班田の履行をはかったりして令制の再建をめざした。

1072年、子の白河天皇位を譲り,自ら上皇(院)として、院中で政治を行った。院政白河天皇は幼少の堀河天皇に位を譲り、自らが上皇になった。鳥羽皇と後白河上皇の3上皇があい続いて実権を握ぎ100年あまりの院政を行った。院政という名前の由來:院は本來、上皇の住所だが、上皇自身を院と呼んだから、院政を呼んだ。(院政期の社會)白河?鳥羽?後白河の3上皇は仏教を篤く信仰し出家して法皇(ほうおう)となる。後白河天皇國家の解體①仏教は広く流行した。②造仏、賄賂、近臣勢力の拡張などで政治が亂れた。経済の基盤が動揺され中央の権力がだんだん弱くなった。大量な國家財政は費やされた。僧兵の強訴知行國制度。寄進荘園不輸?不入の荘園が一般化なった。武士と主家と主従関係の結成保元の亂(保元?平治の亂)平忠盛

保元·平治の亂

鳥羽天皇

近衛天皇

後白河天皇

崇徳上皇

兄弟(息子)藤原信西源義朝平清盛藤原頼長源為義平忠正保元の亂(平氏政権)平清盛?太政大臣

その子重盛ら?高位高官

権勢と経済力がつよい舊勢力からの強い反感を受けた

平清盛鹿ケ谷陰謀(平安末期の文化)文學:<栄華物語>、<大鏡>説話集;<今昔物語集>、軍記物の<陸奧話記>、歌謡集野<梁塵秘抄>美術:

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